平成20年7月7日
台湾の南端にバシー海峡に突き出した、2つの岬があります。
東側の岬のガランピは観光地として有名です。西の岬は猫鼻頭と呼ばれています。この2つの岬の間を南湾と言います。
昭和19年春から、日本軍は支那派遣軍より兵力を抽出し南方の防備を強化しようとします。
しかしながら、米潜水艦により多くの輸送船が台湾海峡南部よりバシー海峡で撃沈され、多くの将兵が海没散華しました。5000トン以上の輸送船で撃沈された輸送船は約200隻(船名、沈没地点は別表を参照してください) 海没した日本軍将兵は20万人と言われています。
バシー海峡で海没した将兵のご遺体は海流の関係で、南湾の猫鼻頭に漂着します。一部は猫鼻頭を越えて台湾海峡に流され、東港にも漂着しました。
猫鼻頭には一日に何百体ものご遺体が漂着したとの事です。これを地元の台湾人の方々が総出で引き上げ、火葬、仮埋葬をして頂きました。その中に鄭永烈さんと言う方がおられました。
静岡の中島秀次氏が乗船した玉津丸は昭和19年8月19日撃沈され、中島秀次氏は12日間漂流して救助され高雄の陸軍病院に収容され、生還復員しました。戦後、仏門に入いられた中島秀次の戦友の慰霊の為、また、戦死した連合国軍将兵の慰霊の為、同志を募り、猫鼻頭に堂宇を建立することを決心します。この時、土地を提供してくれたのが前記鄭永烈さんでした。
時は移り、多くの方が鬼籍に入り、資金難から堂宇の改修もまま成らない状況が続きました。そして、鄭永烈さんも亡くなられました。
ここで問題が発生しました。潮音寺の土地の登記が放置されていた事が判明しました。相続した鄭永烈さんのご子息は、この土地を担保に銀行より融資を受け、支那大陸への投資の失敗で返済が出来なくなりました。
この問題の解決に協力してくれたのが許昭榮さんでした。 お住まいのある高雄から猫鼻頭へ何度も足を運び折衝を仲介してくれました。
それだけでなく、日本から戦没者のご遺族、参拝者が訪ねると愛用の車で案内を申し出てくれました。 私の関係だけで、この数年で20組ほどは許昭榮さんにご案内頂いたのではと思います。
許昭榮さん有り難うございます。本当に有り難うございます。
合掌 石戸谷 慎吉
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